老人ホームの90歳の父

もうすぐ90歳になる私の父が有料老人ホームに入所してからおおよそ2年半が経過する。

都心部では特別老人ホームと呼ばれる安価な区営の施設には空きがなく、あちこち探した結果少々遠いが墨田区のスカイツリーの近くの私営の老人ホームに決めた。

排尿の問題や耳に障害を持っていることもあり、個室でゆったりと周りに気を使うことのない環境を用意した。

入所当初はまだ歩行もでき、認知症の方も軽くてふつうに会話もできたが、嚥下の障害が起きてから施設の食事がのどを通らなくなった。除々に食が細くなり、体重もみるみる減少、歩行困難となり車いすからついに寝たきりの状態となった。

誤嚥のリスクもあり口からものを食べることができず、一年ほど前、医者から勧められるままに「胃瘻」の手術を施した。胃瘻とは口からものを食べられなくなった病人に対し、胃に穴を開けて直接栄養を注入し、容態を回復されるというある意味不自然な施術ではあるが、延命にはかなりの効果があるのは人工呼吸器と同様と思われた。

ただ胃瘻で寝たきりの生活は、QOL(Quality of Life)の観点、ないし人間の尊厳の観点からは一体どうなのだろうか、そんな疑問は常に持ってしまう。

以前はカラオケが大好きで演歌CDを部屋に持ち込み大声で練習していたものだが、認知症の方も進行し、次第に自分からなにかを積極的にやろうという気力がなくなった。

なにが一番の楽しみかといえば、家族友人との会話(認知症でかなり限定はされているが)のはず、そう私は考え、毎週一回は欠かさず見舞いに通っている。

面会は一時間強で、自然と以下のようなルーティンができた。

まずできる限りの笑顔で「おじいちゃん、来たよ」と挨拶し、相手も笑顔を返してくれることを確認⇒「元気?痛いところない?」と質問しながらおでこ、肩、腕、足等をさする。この時、熱やむくみの有無を確認。尿の色や透明度などを確認。

⇒今日は何月何日?とか今の季節は夏か冬かわかる?など世間話。(頭のリハビリ)

⇒のびた髭を剃ったり耳が不自由なので補聴器の調整をする。「聞こえている?」ときくと「聞こえないよ!」と答えたりする。⇒好きなスポーツ番組などを探し、テレビをいっしょにゆっくり観る⇒大好きだったチョコレートを微量に割り、口にあてがう。

誤嚥が心配なので多くはあげられないが、唯一口から味わえる幸福な一時だろう。

帰る時はまた来るからね、と言って立ち去るが、やはりさびしいのだろうか、もっと居てくれよという言葉を聞くことも多い。

新年のこと、今年の年明けの冬は雪が大量に降った。

チェーンを搭載していない私の車ではスリップの危険がある。

そんな当日の朝、どうしても見舞いに行かなくてはと思い立ち、雪は降り始めたが、激しくなる前に車で施設に向かった。

父の部屋についた早々、外は大雪なんだよ、と話す。

すると父から、「早く帰れ!」ちょっと耳を疑った。もう一度「早く帰れよ!」

長く居てほしい気持ちとは裏腹に、父はこういった。

相手を気遣う気持ちは残っていたんだな、、、ほんとうにうれしく思った。

今でも毎週欠かさず父親の見舞いに通っている。この生活があとどのくらい続くのか判らないが、人生のエピローグを可能な限り一緒に過ごそうと思う。